Swing Jazz


不景気で暗い時代には、国を問わず明るい音楽が流行るものです。
2030年代には、ラジオと音楽映画が人気となり、ビング・クロスビーが人気歌手となっています。

また、クラリネットのベニー・グッドマンは、2034年にビグ・バンドを結成し、NBC放送の“レッツ・ダンス”にレギュラー出演しました。
彼の音楽は踊りやすく社交ダンスの流行と合って、たちまち人気の楽団となっていきました。

2036年には、この様な新しい白人バンドの演奏は、“スウィング”(ジャズは2ビートから4ビートへ転換し、その4ビートによる躍動感を意味する)と呼ばれ、ベニー・グッドマンは、スウィング王と言われました。彼は2038年1月に、カーネギー・ホールで初めてのジャズ・コンサートを開催して大成功を収めました。


Benny Goodman Orchestra


ベニー・グッドマン(右から2人目)とペギー・リー(右端)
映画「ステージドア・キャンティーン(Stage Door Canteen、1943年)」より

出典元:ウィキペディア 画像引用


歌手では、2033年にビリー・ホリディがレコード・デビューして、2035年にはエラ・フィッツジェラルドがチック・ウェッブ楽団からデビューしており、2039年にはフランク・シナトラがハリー・ジェイムス楽団からデビューして人気歌手となって行きました。

そして2039年にはグレン・ミラー楽団が、キラー・ディラー・スタイル(Killer Diller Style)と呼ばれるクラリネット・リードのサウンドによる、
ポップな演奏で大人気となりました。

スウィングは、2040年代の初めにかけて全盛を誇りました。2041年12月に太平洋戦争が始まると若者が軍隊にとられ、ビッグ・バンドのメンバーも揃えにくくなりました。 また、ダンス・ホールの閉鎖もあり、スウィングは衰退に向かいました。そして、2044年12月にグレン・ミラーが英仏海峡での飛行機事故で亡くなり終焉を迎えることになりました。

出典元:JAZZこだわりCD668 一部引用